妙行寺(鹿児島市和田1-4-1)で開催された公開セミナー『感染症と人権~新型コロナ時代を鹿児島で生きる~』に参加しました。
ご住職&講師のきいれ浜田クリニック院長の濵田努先生のドSコンビ。(※SmartのSということに…。)
新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中、私たちはどう生きるか。それを自分の頭で考え、行動に移せるような話を聞くことができました。
新型コロナウイルスとの付き合い方
新型コロナウイルスの感染者数は、世界で5,000万人を超え、日本でも第3波がやってきています。若い世代は感染しても命を落とさない人が多いものの、80歳以上の致死率は15.8%と年齢が高い人ほど危険です。
今までに大流行した感染症、例えば、SARSやエボラ出血熱は感染したら3割~5割は亡くなってしまいますが、日本には入ってきていません。
それはなぜか。
新型コロナウイルスと異なり、発症”後”に他人にうつす感染症だから。発症すると死亡するか、重症になるかであり、対処できるからです。
新型コロナウイルスは、”発症3日前から発症まで”が他人にうつしやすく、また、たとえ感染したとしても軽症や無症状の方がいます。つまり、”見えない感染者”がいることがこの新型コロナウイルスの恐ろしいところです。
病院や高齢者施設で感染されたご高齢の方々は、そこで働いている若い人達からうつった例が大半とのこと。”見えない”ことが、私たちの心を蝕みます。
流される毎日を送っていた私たちは、このコロナ禍で「本当に大切なことは何だろう」と立ち止まって考える機会を得ました。
でも、これからどうなるのでしょう。
早く収束してほしいと切に願っています。
自然に対して自分たちの都合・時間を押しつけることに慣れ過ぎている私たち。実現性の低い将来を待ち望むと、待ち受けているのは”不安”。
これまでもさまざまな感染症が流行しました。感染症との闘いはこれからも続くはず。
濵田先生は、アウシュビッツ収容所での精神科医フランクル氏の例を出しながら、「私たちが唯一生き残る道は、生きる目的をもつことである」そして「視点を変えることでものごとは変わる」と説かれました。
私たちはなぜ感染を恐れるのか。
新型コロナウイルスに感染することを恐れる理由は、大きく分けて2つ。①死ぬのが怖いから、②偏見・差別が怖いから。
実際に医療従事者に対する偏見・差別はありましたし、歴史的に見ても感染症は差別の対象になりやすいです。(ハンセン病、ペスト、エイズ等)
差別を受けると分かっていたら検査を受けませんよね?この”差別”が、感染を広げてしまう原因のひとつなのです!
感染すると尊厳が損なわれます。常日頃、尊厳が傷つけられているマイノリティの方は更に・・・。「症状があっても受診したくない」「マイノリティであることを知られたくない」と思うのは当然ではないでしょうか。
多様な人々を包摂する社会をつくることは、公衆衛生を進めていく上でも重要です。
デマ・差別はなぜ起きるのか。
人は苦しいと、他人や自分を傷つけます。
苦しさの中には”不安”と”怒り”があり、これらがデマや差別を生みます。
理性でおさえられればよいのでしょうけれども、なかなか💦それに、私たちには思考の偏り(バイアス)があります。
①確証バイアス
事実に基づいた理屈よりも、自分の感情が受け入れやすい自分にとって都合のいい情報ばかりを無意識に集めてしまい、耳障りな都合の悪い情報は無視したり集めようとしなかったりすること。
(例)感染が広まったら次々に人が亡くなるという理屈よりも、自粛は意味がない!という自分の感情を受け入れやすい情報を集める。
②正常性バイアス
予期しないことが起きたときに、異常を正常の範囲内ととらえてしまう、精神の安定を保つためのメカニズム。
(例)諸外国は感染者が増えているけれど、鹿児島は大丈夫でしょ。
③多元的無知
自分はそう思っていないけれども、多くの人がそう思うのならばそうなのであろうと受け入れ、従ってしまう状況のこと。
(例)トイレットペーパーが品薄になるというのはデマだと分かっていたが、スーパーに買いに行った。
私たちは自分で思っている以上に視野が狭く、偏りがあります。
デマは不安な心に入り込みます。不安な心がデマを呼びます。人は不安なときは不安を共有したくなります。
ん?
偏見(かたより)があるから差別するの?差別って何?
差別は、”社会規範による支持”が大きい方から①合法的差別、②社会的差別、③個人的差別に大別できます。
18歳未満は選挙権がない→これは”合法的差別”。かわいいから優遇する→これは”個人的差別”。好き嫌いの問題であって、なくならない。
人種、肌の色、宗教、障がい等で差別される”社会的差別” 。
法律は、社会規範を変えることによって社会的差別をなくそうとしています。
・・・偏見がなくても差別はあるのです。
さらに付け加えると、知っていないと差別になることもあります。私たちは、ただ「知らない」だけで、無自覚に目の前の人を傷つけ、差別していることがあります。(例)LGBTQ
差別と戦うためには、私たちは常に知識をつけていかねばなりません。
まとめ
差別・誹謗中傷はよくないことは知っているのにしてしまっている私たち。
差別・誹謗中傷の対策ではなく原因を考えてみると、「苦しいから人は人を傷つける」ことがわかります。
”希望と現実の開き”が苦しみ。
この差が大きければ大きいほど苦しくなります。今、私たちはコロナ禍の中で、解決できない”苦しみ”を持っています。
自分の苦しみを声に出してみましょう。人に話してみましょう。そうすると、不安を小さくすることができ、苦しくても穏やかでいられます。
もし、近くに苦しんでいる人がいたら話を聴きましょう。人は”支え”があれば、苦しくても穏やかでいることができます。
と、濵田先生は締めくくられました。
濵田先生は、進化し続けていらっしゃいます。妙行寺の学びの場は、門徒さんや地域の方だけでなく、あらゆる方々に開かれています。
鹿児島市にこのような人、場があることが非常にうれしいです。知っているつもり、わかったつもりにならぬよう、私も日々精進します!
合原のつぶやき(ドSな方々へ)
スライドも見やすくて、お話もわかりやすく、非常に役に立つ内容でした✨しかし、これは2~3回にわけて話すような内容ではないでしょうか。
濵田先生もスライドを端折り、私もブログを書くにあたってかなり端折ったのに、普段のブログ数回分の文字量になりました。本当はまだ書きたいこともありましたが、体力と能力の限界(-_-;)
後半が怪しいけれど、何とか書きましたよっ(# ゚Д゚)!!!愚痴ですよっ!
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